ブログを書く意味について
今回はゼミの振り返りじゃなくて
内省。
ブログを書くようになってもう半年以上経つ。
明らかにブログを書くようになる以前と今では私の考え方とか、行動が変わったなぁと感じる。
私はめちゃくちゃ完璧主義だ。
こう言うととてもストイックな感じがするけどそういうことではない。「1点の妥協も許さず1つのものを仕上げる職人気質」というより、
「失敗を恐れる/一度上手く行かないことがあるともう全部だめな気がする.,,」という完璧主義だ。
そんな完璧主義な私なので、なかなか行動するまでに時間がかかってしまうし、それに対してまた自己嫌悪に陥ってしまって、の無限ループのどつぼにはまってしまうことがよくある。
おそらく傍から見たら取り付く島もないといった状態。まあ私はその無限ループ状態になって前いた学部で不登校になってしまったことがある。
当時お世話になっていた先生からはめちゃくちゃ心配された。
「何か大変な思いをしているのはなんとなくわかるし、頑張ろうとしてるのは分かるんだけど
あなたが何も言ってくれないからこちらも助けようがない」とまで言われたレベル。
しかし、ブログを書くようになってそこまで失敗することが怖くなくなった、というより怖いんだけどその怖さに対するリカバリーができるようになりつつあると感じる。
私が書いているブログの内容は大体がゼミの振り返りなんだけど、毎回のゼミのワークが上手く行くわけではない。話し合いが進んだかと思ったらこれだとちょっと違うかなってなってまた軌道修正のための意見を出し合うなんてことはザラだし。
あとは、「他の人はこんなに建設的な意見を出せたり、どんどん先生に質問してそれが結果次につながったりしてるのに私だけ全然できてなくない?!」って感じることもよくある。
森田ゼミでは「言語化」特に、「もやもやしたときこそそれをしっかりと言葉にする」ことの大事さを実感させられるけど、私もそうやってうまくいかなかったならそれをそのまま、思うままに記録しておくようにしている。
たまに自分のブログを読み返すんだけど、その時に「あ、この時にこう思ったな」
「この日は私何も喋れなかったけどそれは、全体の流れを把握できてなかったからだな」
とか改めて気づくことができる。
あ、失敗の恐怖心ついてのリカバリーの話だった。
以前までは失敗について重く受け止めすぎるとこがあった。もちろんしっかりと反省することは大事なんだけど、反省と自分を責めて落ち込むことをごっちゃにしてしまっていた。
でも、そうやって自分の行動を振り返って正直に感じたことを書いていると、プロジェクトを一つとっても計画通りスムーズに進むなんてことはあり得ないし、失敗しないって無理なんだな!と失敗することを受け入れる心の余裕が生じた。
また、他のゼミのメンバーのブログを読んでいると
その人にもその人なりの反省とかもやもやがあって
そこから次に繋げようとしているんだなぁと感じた。そして、無意味に他人と比べて落ち込むということを以前と比べてしなくなってきた。
そもそも失敗への恐怖の正体って準備不足もそうだけど自分の中で大きいのは「できるかもしれない/できないかもしれない」という相反する気持ちから生じる気の迷いなんじゃないかなと感じた。
もしかしたら、絶対にできないことに対しては恐怖心すら抱かないんじゃないかと。
(これは言いすぎかもしれないけど)
そう思うと不思議と以前より人と話すときに固まったり、グループワークの場で発言するときもリラックスできるようになった。
これに気づくことができたのはやっぱりブログのおかげだと思う。自分のもやもやと向き合わないと書けないからね!!!!
というわけで私はこれからもブログを更新し続けたいと思う。
振り返りはもちろん、たまにはこういう内省もね。
ではこのへんで